年間第18主日

わたしが命のパンである。(ヨハネ6・35より)

 

 先週の箇所は、イエスと群衆のすれ違いで終わった。群衆はイエスを王様にしようとしたが、イエスは山に逃げた。群衆は本当に神を探していたのではなく、自分の利益を探していただけだから。彼らが捜すのは、必ず消えてしまう命(ビオス)を養うパンにすぎないが、イエスが言うのは神からの命(ゾーエー)である。
 そこで彼らは聞く、一体何をすればいいか?それに対するイエスの返事は、するべきことはただ一つ、信じること。信じると言っても、決まった教義への信仰ではなく、イエスの顔のうちに、父なる神のやさしさを見ること。人を見捨てず裁かず罰せず、命を与える神のやさしさを見ること。その顔を見ることで私たちの生活が完全に変わることもできる。神と同じまなざしで他の人を見て、自分が受けた神の愛情によって他の人を愛することができる。これがキリスト教のすべて、聖体のすべてである。


 (画像は、アントネロ・ダ・メッシーナ「救世主」、1465年、ナショナル・ギャラリー(ロンドン))

Since 14 Sep 2013