年間第19主日

「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには絶え難いからだ」(列王記上19・7より)

 今日の第一朗読は非常に印象的なエピソードである。聖書の中でもっとも残酷な女イザベルに命を脅かされ行きづまり鬱になっていたエリヤ。彼に与えられた奇跡的な力は、初代教会の信者たちにとって、彼らが信じていた聖体の力を思い出させるものだった。「旅」(王上19:7)とは人生の旅路であり、死ぬ時にたどり着く目的地は神のところ。そのため、伝統的に、臨終の時に拝領する聖体がviaticum (旅路の糧)と呼ばれてきた。もっとも、聖体は臨終にかぎらず、人生の全行程において旅路の糧である。
 聖体は、私たちの信仰を測る体温計のようなもの。ミサに与るか与らないか、あるいはどのように与るか(参加の質、クオリティ)によって、キリスト者の信仰が測られる。私たちは信仰生活の中で何回も疲れや倦怠を体験する。例えば、洗礼を受けて、受洗を祝い、興奮が過ぎてしばらくすると、疲れを感じる。結婚生活や司祭の生活にもそのような疲れを感じることがある。そんなとき、必要なのは聖体に対する忠実。私たちの共同体も聖体を大切にしたい。

 

(画像は、国指定重要文化財「綸子地著色聖体秘蹟図指物」、1630年代、天草キリシタン館)

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