年間第21主日

主よ、……あなたは永遠の命の言葉を持っておられます (ヨハネ6・68より)
 今日の箇所で、ヨハネによる聖体についての5回連続のカテケージスが完結する。それは外面的には失敗に終わる。ヨハネ福音書第一章にイエスが自分の家に来たのに受け入れられなかったとあるのと同じように、カファルナウムでの長い話の後、多くの人たちが去って行った。ただペトロがイエスに対しての荘厳な信仰告白をする(私たちも日曜日ごとにミサで同じ信仰告白をしている)。つまり、イエスが私たちに伝えたい神は人間的な栄光や権力の神じゃなく、私たちを癒し救うために小さくなった神である。それは私たちから食べられる神、言い換えれば私たちのために十字架で死ぬ神である。だから、彼の偉大さは彼の惨めさにある。キリスト者はその神から先に愛され赦されたからこそ、人を愛し赦すことができるし、永遠の命を得ることができる。主よ、私たちのミサもあなたの愛のしるしでありますように。


(画像は、当教会十字架の道行「第一留 イエスの最後の晩餐」)

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