年間第30主日

 

盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。

(マルコ10・50より) 



マルコ福音書では、カファルナウムで始まったイエスの癒しは、13番目の癒しである、このエピソードで終わる。
 エルサレムに近づき十字架に向かって進むイエス。エルサレムに入るイエスを枝で歓迎した群衆を思い出させる騒々しい群衆。その道端に一人の盲人が座っている。病気のせいか労働災害のせいか視力を失い、続いて家族、財産、名誉、友人とすべてを失って、ぼろ布のマントだけに包まれ「主よ、憐れんで下さい」と大きな声で叫ぶー十字架の上でイエスが大きな叫びを上げた時のように。こんにちの町の谷間に押しつぶされているホームレスもきっとそう。皆は黙らせようとするが、イエスは彼に気づき彼を呼ばせて目を癒す。

  このエピソードを伝えるマルコは三つの大切な言葉を私たちに託す。その言葉で教会は二千年のあいだイエスに代わり求道者を受け容れて来た。「安心しなさい」―あなたは一人ぼっちではなく、未来は閉ざされていない。「立ちなさい」―どんなことがあったとして、あなたは再生できる。「お呼びだ」―キリストと個人的な関係をもつために、あなた自身が呼ばれている。

  そして、貧乏人の全財産であるマントを捨てて来た彼にイエスは言う、「何をしてほしいのか」。つまり、マルコが示すのは世の泣き声に耳を傾ける神である。イエスは私たちの望みを聞いてくださる神の耳なのだ。
 金持ちの若者はイエスに従えなかったのに、癒されたバルティマイはすぐにイエスの道に入る。キリスト者は決して完全ではない。病気で癒しの必要があったり、罪があったりする。けれども、自分自身神の憐みを経験したからこそ、他者に対して憐みの手を伸ばすことができる。



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