年間第33主日

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(マルコ13・31)

 今日の箇所はいわゆる終末論の話。「終末」「世の終わり」「アポカリプス」などの言葉はマスコミにもよく出て来るが、恐ろしいイメージがある。しかし、イエスが私たちに何を言いたいかよく理解しなければならない。
 マルコ福音書の第13章は後から挿入されたと聖書学者たちは推測している。その頃、ローマで増えた信者たちに対して迫害が激しくなっていた。今日の箇所はそんな信者たちを励ますためにマルコが思い出して伝えようとしたイエスの言葉である。
 「太陽は暗くなり、月は光を放たず」。最近まで農家の人たちは太陽や月の動きに従って種を蒔くなど農作業を行っていたが、古代の人たちにとって、太陽と月は時計だった。太陽と月は彼らの基準であり土台であり、神々とさえ信じられていた。だから、世の終わりが近づき、太陽と月が光を失うと、不安定な状態になる。けれども、それはユダヤ人にとっては、本当の神ではない偶像が崩れることでもあった。
 古代の人たちだけではなく、今の私たちもそうだ。私たちはみんな生きるために何かを大切にしている。仕事とか家族とか給料とか友人とかがそう。それが奪われると、大きなショックを受ける。例えば検査でガンがあると言われると、自分の世界が崩れてしまう。あるいは、夫や妻、子供など自分にとって大切な人が死ぬと、その人なしにどう生きたらいいかわからない。または一生懸命働いて仕事を大切にしてきても会社が倒産すると、仕事を失い、生活は無茶苦茶、アイデンティティも失われる。私たちの土台は不安定である。私たちが生きるために大切にすることはすべて失われうるものである。
 しかし、偶像が崩れるのも、大切なことがわかる機会になる。病気になっても、裏切られても、その経験のど真ん中から神が私たちに何かを話してくださる。それは、若い時か中年になってからか年をとってからか、人それぞれ違いはあっても、かならず経験することである。だから、その時が来ることを覚えていなければならない(集会祈願「心を照らしてください」、第一朗読「目覚める」、福音朗読「悟りなさい」)。
 イエスは言う、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。どんなことがあったとしても、私たちは神の言葉であるキリストに頼ることができる。イエスが十字架につけられた時、真っ暗になったり、地震があった。その時、イエスを信じる人たちは、すべてが終わったと思ったが、そうではなかった。なぜなら、十字架上で亡くなったイエスの死の中から、私たちは命を得ることができたから。
 だから、どんな病気、どんな苦しみ、どんな問題があったとしても、どんな間違いで生活がめちゃくちゃになったとしても、キリストに希望を置く人は救われる。十字架上のイエスを信じる人にとって、その苦しみは臨終の苦しみではなく、陣痛の苦しみである(ヨハネ13・13)。生みの苦しみ、新しい世界の誕生の苦しみである。その世界はまだはっきりとは見えず(1コリ13・12)、そのしるしが赦しと愛の出来事のうちに此処彼処に閃いているにすぎないけれども。
 マルコがローマの信者たちに言いたかったのはこのこと。安心しなさい、マイナスと思われるこの時、苦しみ、絶望、裏切り、病気の時は、もしイエスに希望を置くなら、あなたにとって却って再生の時となり、新しい世界の始まりになる―これは、教会が一人一人に届ける大きなメッセージである。私たちはこのメッセージを携えて新しい一週間を過ごしたい。

(画像は、第一朗読に出てくる大天使長ミカエルを描いたもの。グイド・レーニ「大天使ミカエル」、1636年頃、ローマのサンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ教会所蔵)



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