四旬節第2主日

(画像は、ラファエロ「変容」、1519ー20年、バチカン絵画館

 

「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」 (ルカ9・35より)

 

 四旬節第二主日の福音は御変容の箇所。ただし、ルカは変容という言葉を使わない。

 今日の箇所の少し前に、イエスは自分の受難と死について弟子たちに話した。自分の道が死に向かっていることに気づき、父なる神の前で時を過ごすために山に登るイエス。父なる神の御旨に「はい」と言ったイエスの上には、洗礼の時と同じように、「これはわたしの子」という父なる神の声が響く。

 ルカは、いくつかのシンボルを使う。1.イエスの顔の美しさ。その顔の上に父なる神の光が輝いている。2.真っ白に輝く服。3.モーセとエリヤ。イエスは旧約聖書の時から預言された救い主であり、聖書は全部イエスに向かう。3人の弟子たちは見ても、完全にはまだわからない。数十年後にも鮮烈に思い出すほどの(2ペトロ書1・16-18)深い喜びを感じても、まだ眠気がある。しかし、神の栄光を意味する雲がイエスを包む。彼らは目で見ることはできないが、彼らの耳に声が響く、「これに聞け」。同じように、教会は求道者に勧める、この人に憧れ、その美しさを辿り、その後に歩んで、弟子になるように。ペトロが、ここにいるのは美しいことと言ったように、教会は求道者に伝える。イエスの弟子になるのはたいへん喜ばしい、言葉で言えないほど意味深い経験だと。

 今日の魅力的なページ―教会にとって宝物であり、東方教会にとっても大切なこのページを黙想すると、特に祈りの大切さがわかる。祈りはキリスト者の生活に意味を与えるもの。ベネディクト16世も引退の際に、どんな活動も深い祈りの体験がなければただの騒ぎにすぎないと言った。四旬節には、求道者も、また彼らと歩みをともにする私たちも祈りを大切にするように勧められる。個人的な祈り、教会としての祈り―一言で言うと霊的な生活を大切にするように、また内面的な価値観を求めるように。

 ルカ9・37に「山を下りる」とあるように、祈ることは世界から離れることではない。祈りと活動、祈りと宣教は根本的な関係がある。祈りから、イエスを伝えイエスのために働くことが始まる。教会の中ではどんなことでも、この大きな光、キリストの体験から生まれるべき。この光を浴びてイエスを愛する人だけ、神がどれだけ世を愛しているか理解することができる。

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