今週の聖句と黙想

2019年

10月

19日

年間第28主日

その中の一人は、自分がいやされたのを知って、 大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。(ルカ17・15-16)

ジェームズ・ティソ「10人のレプラ患者の清め」、1886―1894年、ブルックリン美術館
ジェームズ・ティソ「10人のレプラ患者の清め」、1886―1894年、ブルックリン美術館
 「エルサレムへ上る途中」。ルカがこのことをわざわざ何度も書くのは、エルサレムへのイエスの旅が十字架と復活への旅であり、その旅の途中でイエスが大切なことを遺言として言い残しているから。その旅の途中ではいろいろな出来事があるが、そのつどの出来事によってルカがイエスについて伝えたい信仰のテーマがある。今日の箇所の出来事は奇跡だが、ルカはイエスが奇跡をどのように行ったかを具体的に記していない。この出来事によってルカは何を伝えたいのか。
 「重い皮膚病を患っている」。「重い皮膚病」とはいろいろな病気に当てはまる言葉だ。それは治らない恐ろしい病気であるばかりか、汚れているとして神殿に入ることができず、また家族から離され人々から見捨てられるなど、社会的に差別された病気だった。聖書ではもっとも重い病気であり、盲目、貧困とともに死にたとえられるほどだ。この病気が治った例は、旧約聖書では二か所だけ、つまりモーセの姉ミリアムと今日の第一朗読のナアマンだけだ。
 「10人の人」。両手の指が10本あることから、10という数字は聖書ではすべてを意味するシンボルだ。つまり、ルカはこのエピソードに神学的なテーマを読み込み、すべての人がその病気にかかっていると言いたいのだ。ユダヤ人と異邦人は互いを差別するが、ユダヤ人であれ異邦人であれ結局同じ罪という病気にかかっていると。
 「イエスさま」。この呼びかけは新約聖書でも数少なく、イエスへの親しみを感じさせる。「わたしたちを憐れんでください」。「癒してください」という言葉ではないのは、その10人の人たちが病気が治ることよりも、人間として扱われることを望んでいたから。ちなみに、「わたしたちを憐れんでください」という言葉はオーソドックスのもっとも有名な祈りだ。
 「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」。これは、律法に従うように指示するユダヤ教の先生としてのイエスの言葉だ。らい病の治癒は当時、祭司が厳密に検査した上で、本当に治ったことを認め、特別な献金と引き換えに特別な祈りと儀式を行う必要があった。これは、ユダヤ人の律法にある掟だった。確かにイエスは律法の完成でもある。
 「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」。ルカが今日の物語で一番具体的な言葉で表現しているのは、奇跡そのものではなく、一人の人のこの振る舞いだ。それは、よく見ると、典礼の振る舞いを意味している。ここでルカは、最後の晩餐の箇所とは別の形だが、私たちキリスト者の日曜日の集まり、感謝の祭儀を考えているのだ。「この人はサマリア人だった」。ルカは、ユダヤ人より、サマリア人の態度を褒める。それは、イエスがユダヤ人から見捨てられ、異邦人から神の子として認められたということを反映している。
 今日の物語によってルカは私たちに何を教えたいのか。9人の人とはユダヤ人であり、イエスを律法の先生と考えてユダヤ教の律法に従い儀式を済ませて普通の生活に戻って行った。彼らは自分が掟を守ったから、病気が治ったと思っている。つまり、ファリサイ派なのだ。自分が神の言葉を守ったから、言われたことをしたから治った、つまり自分の行動で治ったと思っている。だから、イエスのもとに戻らないのだ。却って、ユダヤ人から異端者と思われていた一人のサマリア人が、すべてが神から与えられたものであることに気づき、戻って、癒しを与えた人に出会った。そして、癒されただけではなく、救われた。癒しと救い―この二つの言葉でルカは二つの態度を表現する。ルカにとって救われるとは、自分の問題を解決することではなく、イエスに出会うこと、キリストに出会うことなのだ。信仰とは根本的に、誰が奇跡を行ったかを認めることだ。9人の人たちは掟を守りながら祭司たちのところに行って、癒されたが、救われていない。一人のサマリア人はイエスに出会い、その顔に神の愛を認めることで救われたのだ。
 キリスト者の救いの根本は、宗教的態度をとったり道徳を守ったり福祉を行ったり祈りを唱えることではなく、生きたイエスに出会って、そのイエスが神であることを知ることにある。私たちは洗礼や聖体を始め、信仰のしるしである秘跡を通じてキリストに出会うことができる。ミサとは、私たちが共通にもっている罪の状態から癒されて、聖体によって感謝すること。だから、マンネリでミサに与るのではなく、罪の自覚、救いの自覚、感謝の自覚がとても大切だ。そこからキリスト者としての生活が生まれる。 

2016年の黙想の再掲載。


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トピック

2019年

10月

21日

ルイ・ケルブ神父、尊者に

ヴィアトール会創立者、尊者ルイ・ケルブ司祭
ヴィアトール会創立者、尊者ルイ・ケルブ司祭

 当教会の司牧を担当している聖ヴィアトール修道会の創立者であるルイ・ケルブ神父(こちらを参照)。2007年に列聖調査が開始され、「神のしもべ」とされていましたが、今月2日、教皇フランシスコはケルブ神父を含む8人を「尊者」として宣言しました。ケルブ神父は7つの徳(信仰、希望、愛、知恵、勇気、節制、正義)と使徒的勧告を優れた仕方で生きたと認められたことになリます。これによって、ケルブ神父の調査は新しい段階に入り、列福に向かうことになりますが、列福のためには奇跡が必要です。病気になった時にはケルブ神父に取り次ぎを願いましょう。

2019年

10月

10日

シドティ屋久島上陸記念日

 新井白石の『西洋紀聞』が著したことで知られる禁教下最後の宣教師シドティ。キリスト教宣教の許可を得ようと屋久島に上陸したのは、1708年10月10日から11日にかけての夜だったとされています。

 シドティは1667年シチリアのパレルモ生まれ。教区司祭でしたが、叙階後法学学位を取るために行ったローマで日本の信者の殉教を知り、ナポリの大司教の座を惜しまず、日本への派遣を教皇クレメンス11世に願い出ます。許可が与えられたシドティは、中国に向かうトゥルノン枢機卿に随行してまずマニラへ。そこで日本人から日本語を学びながら、セミナリオの設立などに4年間尽力します。その後、日本へ。

 マニラで覚えた日本語は役に立たず、ラテン語を知っているオランダ人の通訳ではじめて意思疎通。そして長崎から江戸に送られ、新井白石から尋問を受けます。シドティの見識と人間性に敬意を払いながらも、キリスト教の教えをまったく理解しない白石の警戒を解くには至らず、シドティはキリシタン屋敷に幽閉されます。しかし、その世話をした長助・はる夫婦に洗礼を授けたために牢に入れられ、最期を迎えたのが1714年、あるいは1715年とされています。

 音信不通であったため、ヨーロッパにはさまざまな噂もあったようです―シドッチが処刑される時嵐が起こって中止に至らせ皇帝に受け容れられているなどと。それで、教皇もシドッチを教皇代理に任命していたようです。

 2014年、キリシタン屋敷跡地から人骨が発掘され、調査の結果、2016年、シドティのものと確認されました(それに基づいて復顔像も作られています。書物の表紙画像を参照)。今年、初の学術的伝記『ジョバンニ・バティスタ・シドティ―使命に殉じた禁教下最後の宣教師』(教文館)の日本語訳版が刊行されました。著者であるマリオ・トルチヴィア神父(パレルモ教区司祭)はシドティと夫婦の列聖調査を請願しています。上の画像は、シドティが持ち込んだ「親指の聖マリア」の複製画で、東京の国立博物館で見ることができます。その御絵と遺骨によってシドティはそれ以前のどの宣教師よりもリアルに感じられます。

 理解できない教えに夫婦が帰依したことは白石にはまさに邪教のゆえんと思われたことでしょう。しかし、見方を変えれば、幕府に支配され自由さえ奪われている自分たちにも神の愛の眼差しが注がれているという教えこそ二人にとっては死をも賭する価値のあるものだったと想像できます。

 現代の私たちは多くの場合、多少の世俗的知識を身につけある範囲で一種の権力を行使でき、ミニ「白石」のように振る舞うこともできます。けれども、どんな人も最終的には無力です。自分で望んだわけでもないのに、無力な赤ん坊として生まれ、若い人も年をとり、多くの場合病気になり、そうでなくても死を避けることはできず、死んだらどうなるかもわかりません。その根本的な現実を見つめるなら、人間に命を与え人間を愛し永遠の命に招く神の声が心に届く瞬間が来るかもしれません。

 私たちはシドティのように長い船旅をする必要もなければ、知らない言葉と一から取り組む必要もありません。けれども、その瞬間のために、この特別月間に限らず祈り用意していたいです。

2019年

10月

01日

福音宣教のための特別月間


 毎年10月の最後から2番目の日曜日は世界宣教の日。今年は教皇ベネディクト15世が使徒的書簡「マクシムム・イルド」を公布してからちょうど100年に当たるため、教皇フランシスコは今年10月を「福音宣教のための特別月間」と定めました。世界宣教の日の今年の教皇メッセージはこちらです。

 10月1日(火)は、聖フランシスコ・ザビエルとともに宣教の守護聖人とされたリジューの聖テレーズの記念日ですが、バチカンでは教皇フランシスコによって特別月間開始を祝う晩の祈りが捧げられ、イタリアの8つの宣教会が参加します。また、ロザリオの聖母の記念日である10月7日(月)の午後には、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で福音宣教省のフィローニ大枢機卿によってロザリオの祈りが捧げられ、模様はラジオ・マリアによって全世界に配信されるようです。動画はこちらからアクセス下さい。

 日本でもさまざまな動きがあります。司教団の呼びかけはこちらです。東京大司教区菊池功大司教のメッセージはこちらです。オリエンス宗教研究所が刊行する月間誌『福音宣教』10月号は特別月間をテーマとしています。こちらをごらん下さい。

 当教会広報部でも以前から月1回のペースで教皇フランシスコ使徒的書簡『福音の喜び』の勉強会を行っています。

 特別月間の日曜日と祈りの集いの資料は以下の通りです。ご利用下さい。

福音宣教特別月間10月6日.pdf
PDFファイル 432.9 KB
福音宣教特別月間10月13日.pdf
PDFファイル 467.1 KB
福音宣教特別月間10月20日.pdf
PDFファイル 455.6 KB
福音宣教特別月間10月27日.pdf
PDFファイル 438.1 KB
2019 世界福音宣教の祈りの集い.pdf
PDFファイル 993.2 KB

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今後の主な予定

10月20日(日) 

ヴィアトール祭

ミサ後、パーティ

日時変更とお休み

事務室の在室時間は現在のところ以下の通りです。なるべくこの時間帯に来室・連絡下さい

 

月・火・水、金 10:00~12:00

 

*変更の可能性があるため、来室の際には電話(075―724―6623)で確認願います。

聖体顕示は金曜日18:30〜19:00となっています。

京都カトリック青年センターより

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