今週の聖句と黙想

2017年

9月

17日

年間第24主日

あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。(マタイ18・35)

ウィレム・ドロステ「無慈悲な家来」、1655年、ウォレス・コレクション
ウィレム・ドロステ「無慈悲な家来」、1655年、ウォレス・コレクション

 歴史的な犯罪から、私たち一人ひとりが日常生活の中で被る身近な悪まで、悪に対してどのような態度をとるか。暴力に対して暴力を返すのか。それはとても難しい問題だ。宗教家に限らず、さまざまな思想家がこの問題について考えて答えを出そうとし、処罰の法律や報復の限度や条件が定められたりしてきた。

 先週に続き、今日の福音書もマタイ18章。教会共同体のあり方、特に赦しがテーマだ。ペトロがまた出てきて、イエスに質問する。「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」。当時は、ある学者によると、3回までは赦す義務があったが、3回を超えたら仕返しすることができた。別の学者によると、妻の姦通の罪は1回だけ、友人の罪は5回まで赦すべきとされたが、それはイスラエルの民の内部のことだった。ペトロとしては、イエスが赦しの問題について特別な基準を示すと予想して、先回りし、当時イスラエルで要求されていた数字以上の数字を出して「7回までですか」と尋ねたのだろう。7は完全数でもある。ペトロはイエスが同意して自分を褒めてくれるとでも考えただろう。あるいは、イエスもそこまでは求めないと少しは思っていたかもしれない。

 イエスの返答は、ペトロの予想を覆すものだった。「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」。これは制限のない赦しを意味する。イエスはおそらく、カインの子孫レメクの言葉(創世記4・23−24)を考えていただろう。しかし、イエスが言う赦しは、残酷なレメクの復讐とはまったく逆だ。

 それがわかるのは、あとに続く「仲間を赦さない家来」の有名なたとえ話からだ。この例え話は、マタイがイエスのいくつかの言葉をまとめたものとも考えられているが、3つの段階に分かれている。1.王は家来(位が高い人物と考えられる)の借金を帳消しにする。2.仲間の借金を赦さなかった家来を王は牢に入れる。3.イエスの結論。

1.理由は書かれていないが、家来は王に借金を返せない。イエスが使っている数字には注意すべきだ。タラントンは本来、貨幣の単位ではなく、金塊の重量の単位で、1タラントンは26−36キログラムに当たる。当時は58キログラムだったと言う学者もいる。1タラントンが58キログラムなら、1万タラントンは58万キログラム、1トントラックに載せると、580台のトラックが必要で、そのトラックを並べると5キロメートルになる。5キロと言うと、北白川教会から白梅町修道院ぐらいの距離。つまり、とてつもなく大きな数字で、帳消しにすることができない金額だ。けれども、奇跡が起こる。家来がひれ伏してしきりに願うと、王(神)は憐みに思って(放蕩息子のたとえ話も思い出される)、借金を赦し、帳消しにする。それは考えられないことだ。

2.ところが、この家来は外に出て、自分が大きな借金を赦されたことを忘れて、仲間に借金の返済を求める。100デナリオンについてはさまざまな解釈があり、一日の賃金と言われたり、それ以上と言われたりするが、どちらにしてもわずかだ。家来は仲間を「捕まえて首を絞め」て、返済を迫る。これは仲間たちにとって「心を痛め」るほどのスキャンダルになる。実は、この家来が自分の金を返せということ自体は正しい。その金はその家来のものだからだ。問題は、王(神)が自分に対して示した憐れみを忘れたことだ。王(神)はその家来を「不届き」と表現するが、それは自分が借金を赦されたことを忘れたからだ。

3.「心から兄弟を赦さないなら」。赦しについてのイエスの考え方は独特だ。仏陀は、相手に赦される価値があるからではなく、自分の心が恨みで損なわれないように、相手を赦すべきだと言った。こんにちでは、心理学者がさまざまな調査や研究に基づいて、心の安定のための赦しの必要性について本に書く。しかし、イエスの考える赦しとはそれだけではない。イエスの言う7の70回はただの数字ではなく、赦しの中身(「心から」)を表現している。赦しの規則を作ってほしいペトロにはそれがまだわかっていない。却って、イエスが言う無制限の赦しは、神の体験から生まれるのだ。どの程度神を体験したかに応じて与えることができる赦しだ。ペトロの理解では7回を超えると罰を与えることができるが、イエスの場合はそうではない。イエスが言うには、彼の教会共同体の中で赦しが本当であるためには、父なる神から受けた憐れみに根を下ろすべきだ。自分が赦されたからこそ、その神の体験から赦しが生まれる。神を知る人、神の恵みによって救われたと自覚する人だけ、「心から」の、完全な赦しが可能になる。教会共同体を作り上げる、そして教会共同体によって新しい世界を作り上げるのはそういう赦しなのだ。

 一般には憐れみは、正義を行った上で示される。たとえば、刑を課した上で、刑期を短くするのがそれだ。イエスが言う憐れみはそれとは違う。その憐れみは人間的な努力から生まれるのではなく、神から受けた憐れみと赦しから生れる。神の深い経験をせずに、相手を完全に赦すことはできない。ペトロはまだわかっていない。ペトロが本当にわかるのは、イエスを裏切ってから、イエスの眼差しを見て涙を流し、復活したイエスに会って愛を求められたときなのだ。


過去の聖句と黙想はこちら

2017年

9月

17日

福音宣教省長官フィローニ枢機卿、来日

 バチカンの福音宣教省長官フィローニ枢機卿が来日しました。17日、東京に到着した枢機卿は、福岡、長崎、広島、大阪、仙台を訪問した後、東京に戻り、26日、ローマへの帰路につきます。

 フィローニ枢機卿の司牧訪問に際し、教皇フランシスコは日本の司教団に書簡を送りました。全文の日本語訳はこちらで、バチカン放送局のまとめはこちらです。この書簡でパパ様が日本の司教たちに言いたいのは、もっと情熱的に宣教してほしいということです。

 日本の司教たちは、弱者の世話や移民信者の受容、文化の発展や諸宗教対話や自然環境問題に熱心だけれども、パパ様が特に望んでいるのは宣教の努力であるようです。信者が少ないなら、マタイ福音書にあるぶどう園の主人のように、「働き手」を探しに出かけるチャンスだと言います。日本の社会には、高い離婚率や若者の自殺、引きこもり、宗教的霊的形式主義、倫理的相対主義、宗教への無関心、仕事や金儲け第一主義といった問題があるのだから、諦めたりしてはいけないのです。召命のためにまず大切なのは、使い捨て文化に抗して、イエスが教えた愛を若い人が理解し体験するように助けることだと言います。聖座が認めた信徒運動も福音宣教の役に立つと言っています。

 パパ様は教会は「外に出かける」べきだといつも言います。来月10月は世界宣教の月。パパ様の書簡をゆっくり読みながら、宣教のために祈り考え協力したいものです。

 


(動画はフィローニ枢機卿の福音宣教省着任当時のもの。)

今後の主な予定

9月23日(土・祝)

洛北ブロック巡礼

(詳細は以下のPDFファイルをご覧ください)

ブロック巡礼’17.pdf
PDFファイル 241.5 KB

10月22日(日)

聖ヴィアトール祭

11月3日(日)

ウォーカソン

11月19日(日)

教会バザー

日時変更とお休み

事務室の在室時間は5月11日より暫定的に以下の通り変更となります(7月より在室時間の変更に御注意下さい)。

 

日曜日 8:30~15:00

月~水、金、土 10:00~15:30

(木曜日定休)

 

*電話は上記の時間外でも応対できます。

9月1日より、聖体顕示の開始時間は18:30です。

カトリック教会のニュース

右近列福答礼公式巡礼はこちらをご覧ください。


お知らせ

教会を会場として行われるイベントの紹介