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今週の聖句と黙想

2022年

1月

23日

年間第3主日

 この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した (ルカ4・21より)

ジェームズ・ティソ「イエス、会堂で書物を開く」、1886―1894年、ブルックリン美術館
ジェームズ・ティソ「イエス、会堂で書物を開く」、1886―1894年、ブルックリン美術館
 今日の福音は二つの箇所にまたがっている。第一は福音書の冒頭、前書きの箇所であり、第二はかなり後の第4章、ナザレに戻ったイエスが安息日に会堂でイザヤの箇所(それはいわば公生活のプログラムとなる)を読み解釈する箇所である。
 第二の箇所がドラマチックなために、短い時間の説教では第一の箇所が飛ばされてしまいがち。けれども、ルカ福音書の前書きはとても大切だ。ルカはそこでその福音書の全体をどう読めばよいかを簡略に表現しているから。彼が言うのは、これからイエスについて彼が語るのは抽象的な教義ではなく、非常に現実的なこと(ギリシア語でプラグマトン)であり、歴史的な出来事だということ。一般の宗教、たとえば仏教は知恵や教えについて語る。それに対して、ルカが語るのは、証人がいて証拠があり調べることができる歴史的な出来事についてだ。その一つ一つの出来事は別の世界に向かって開かれた窓である。霊の力に満ちてイエスがナザレに戻ってくる出来事は救いの歴史の出来事なのだ。

 もっとも、歴史の中で行われた出来事を見て、そこに満ちている意味(今日の箇所に出てくる「霊」)が誰もにわかるわけではない。そのためには特別な態度が必要である。イエスをみんなが認めたわけではなく、認めたのは数人だけだった。そして、その出来事は確実なことであり、私たちの信仰の土台となるとルカはテオフィロに言う。イエスの眼差しや身振りに注目するルカが私たちに伝えるのは、抽象的ではなく、リアルなイエス――手で触り、耳で聞くことができるイエスだ。

 第4章の箇所についても一つの点に注目したい。その日たまたま読まれたイザヤの箇所は、来るべきメシアについて書かれていた。それは有名な箇所だったから、当時のどのラビも言及していた。その箇所についてイエスは革命的な解釈をした――その者は私であり、その日は今日であると。この「今日」という言葉はルカがよく使った言葉だ(天使が羊飼いたちに「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」2・11、中風の人が立ち上がり、人々が「今日、驚くべきことを見た」5・26、イエスがザアカイに「今日、救いがこの家を訪れた」19・9、十字架上で強盗に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」23・43)。

 救いは今日実現する。私たちは別の人を待つ必要はない。イエスは、私たちが救われることをはっきりと全面的に伝える。

 


(2016年の黙想の再掲載)

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トピック

2021年

12月

22日

12月23日 おお交唱

画像はレナート・ラフランチ師「第七のアンティフォナ」

おお、インマヌエル、

わたしたちとともにおられる王、立法者、

諸国の民の希望、

救い主、

わたしたちを助けに来てください。

「教会の祈り(聖務日課)」の晩の祈りではマリアの歌(Magnificat)が福音の歌として歌われます。聖霊を受けて身ごもったマリアが親戚のエリサベトを訪問し、エリサベトがマリアをたたえたのに答えて、歌った歌です(ルカ1・46-55)。マリアの歌の初めと終わりには短文の交唱が歌われますが、主の降誕直前の週である12月17日から23日までの7日間は、「おお"O"」という感嘆詞で始まる「おお交唱(“O” antiphona)」が歌われます。「おお交唱」は有名な待降節の聖歌「久しく待ちにし(Veni, Veni, Emmanuel)」のもとになっています。カトリック中央協議会の該当ページもご覧ください。


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今後の主な予定

12月24日(金)19:30〜

主の降誕(夜半)ミサ

12月25日(土)10:30〜

主の降誕(日中)ミサ


*ろうそく行列はありません。

日時変更とお休み

***

事務室の在室時間は現在のところ以下の通りです。なるべくこの時間帯に来室・連絡下さい

 

月〜金 10:00~12:00

 

*祝日を除きます。

*変更の可能性があるため、来室の際には電話(075―724―6623)で確認願います。

聖体顕示は金曜日18:00〜18:30となっています。

京都カトリック青年センターより

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