今週の聖句と黙想

2018年

11月

11日

年間第32主日

「貧しいやもめの献金」、オットーボイレン・バジリカのフレスコ画(Johannes Böckh & Thomas Mirtsch, Creative Commons)
「貧しいやもめの献金」、オットーボイレン・バジリカのフレスコ画(Johannes Böckh & Thomas Mirtsch, Creative Commons)

 「この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」(マルコ12・44より)


 マルコ福音書では、今日の箇所がイエスの公生活の最後のエピソード(次の13章は終末論の長い話、14章は受難物語)。

 このエピソードに先立ち、宗教者についてのイエスの厳しい診察が報告される。宗教の専門家である律法学者には3つの特徴がある。1.「長い服」は宗教者として目立つため。労働に適さないが、彼らはそれで自分でないものに見せかける。2.「挨拶される」こととはえらい人として扱われること。彼らは空っぽなのに相手の目によって生きる。「上席」「上座」とは社会的地位。彼らは人の上に乗ることで、自分がえらいと意識する。3.「やもめの家を食い物に」―神も人もかまわない残酷さ、自分をすべての基準にする自己中心主義。やもめは聖書では貧しい人の例としてよく引用される。―「律法学者に気をつけなさい」とは、このような間違った、ものの考え方をしないようにしなさいということ。
 続くエピソードでイエスが「座って」(41節)いるとは典型的な裁判のイコンである。最後の審判の時も神が座って審判する。「賽銭箱」―そこに金が入れられる時に、神殿の祭司が大きな声で金額を告げ人々に聞かせる習慣があった。「金持ち」は、自分に必要なものを確保した上で、一部をそこに入れたが、それも熱心な宗教者としての名誉となった。つまり、彼らは結局自分の利益を求めていたわけである。

 

 それに対して、その「やもめ」は、第一朗読のやもめが小麦粉と油を命がけで預言者に差し出したように、すべてを神に捧げた。マルコは言っていないが、イエスはそのやもめを、子供が母親を見るように限りない優しさで見ている。もしかしたら、そのやもめを見て、その頃すでにやもめの生活を送っていた母マリアを思い出したのだろうか。イエス自身もまもなく、十字架上で父なる神に向かって、私たちのためにすべてをゆだね、命も捧げた。

 要するに、イエスが弟子たちに教えた宗教、そして神が望む宗教は、心と真実、神と人に対する愛に基づく宗教なのだ。こんにちの私たちは、中身よりも見かけ、誠実よりも評判や地位を気にして、例えば健康のためではない整形手術のために考えられないほどのお金を使ったりもする。イエスの教えはそんな私たちにも向けられている。

 2000年前、自分の名誉を求める金持ちがたくさんいる中で、一人のやもめが神殿の賽銭箱にわずかなお金を入れた。あまりにも小さい金額だったので、もしかしたら大祭司の帳簿係も気づかなかったかもしれない。しかし、そのお金は、金持ちのあり余るほどのお金と違い、永遠に神の心の帳簿に記されている。なぜなら、神の心の帳簿にはどんな小さな子供の愛情の溜息であっても永遠に記されているから。

(2015年の黙想の再掲載)


過去の黙想はこちら

2018年の黙想はこちら

トピック

2018年

11月

01日

世界一小さな教会の主任司祭

 スイスに本部があるベトレヘム外国宣教会のゲオルク・シュトルム神父様(1915−2006)。中国宣教から撤退した後、来日し、盛岡で日本語を学び、岩手県南部の大籠教会に赴任します。アルプスに生まれ育った神父様はそこで、酪農を通じて宣教しようとしますが、神父が労働をすべきではないと当時の司教が反対し、別の教会に転勤となります。そして、1959年、自ら志願して岩手県北部の二戸(にのへ)教会に赴任します。信徒は10名に満たない世界一小さな教会(推定)です。神父様は二戸の家を一軒一軒訪ね、キリスト教に関心がある人はいないかと聞いて回りますが、誰もおらず、がっかりしたと言います。

 失意の中でも祈り続ける神父様。聖務日課を唱える代わりに、ギターを片手に自分でメロディーをつけて歌います。二戸に移った翌年、オリジナルの聖歌集『バイブル・ソング』を出版。若い頃に隠修士に憧れトラピスト修道院に入ることさえ考えた神父様は教会の敷地で山羊を飼い、畑を借りて小麦や野菜を育てて自給自足の生活を送りながら、地元の植物画を制作したり、宮沢賢治の童話を知ったのをきっかけに童話を創作し、童話集『子山羊とフランシス』『幸せの種』を出版。もっとも宮澤賢治イーハトープ賞は辞退したそうです。

 工事で樹木が伐採された山を見たのがきっかけで、教会の庭で種から苗を育てて、木を植える活動を始めます。各地に2000本の苗木を植えて、岩手日報文化賞を受賞。御聖堂も神父様が木から彫った十字架像や聖母子像などが飾られました。

 神父様の帰天後、残念なことに、二戸教会は道路拡張工事のため取り壊され、もはや訪れることができません。しかし、私たち信者は、残されたさまざまな作品を通して神父様の霊性を知り、失意と孤独と貧しさの中でも祈り続け神から与えられた素質(タレント)を大きく育てることを神父様の生き方から学ぶことができます。たとえ信者が少なくても教会は教会なのです。

 神父様を紹介する黒澤勉著『木を植えた人・二戸のフランシスコ』(イー・ピックス)から神父様の言葉をいくつか引用しましょう。

 「農業は一番美しく、尊い仕事です」。

 「聖務日課を歌っているとき、私ははっきりイエズスに助けられていること、イエズスが自分の中に働いていることを意識します。信仰はペトロが言うように<冷静な酔い>であり、単に感情に支配されるのでなく、義務のように実行し続けるものです」。

 「スイスでは神父を頼んで植物を聖別します。…聖別を、プロテスタントは迷信だと言いました。しかしカトリックの信仰では、すべての自然の中に神の霊の働きを信じています」。

リンク先はamazon。

 「神は決して人に強いることはなく、ただ提案するだけです。私たちは神の提案を受け入れその御旨を果たすべきです。それは多くの場合、小さく、つまらないように見えます。しかし、それはイエズスのもとに入って、大きなこととなります」。

 神父様のお母様はフランシスコ会の在俗会員で、神父様自身フランシスコを慕っていたことから、黒澤氏は神父様を二戸のフランシスコと呼んでいます。神父様の出身地スイスから、カトリックではありませんが、アルプスの少女ハイジや、晩年スイスに住んで庭仕事をしながら水彩画も製作したヘルマン・ヘッセも連想されます。いずれも日本人によく親しまれています。宣教師としての神父様の願いは、神父様が天に戻られたこれから叶えられるかもしれません。


今後の主な予定

10月10日(水)~

洛北ブロック黙想企画 祈りの集い

11月18日(日) ミサ後

教会バザー

bazaar_201811.pdf
PDFファイル 619.7 KB

12月2(日) 

待降節黙想会

9:30~11:45 講話、黙想、ゆるしの秘跡

12:00~13:00 ミサ

12月2日(日)は9:30からのミサがありませんので、ご注意ください。

12月9日(日) ミサ後

日曜学校クリスマス会

日時変更とお休み

事務室の在室時間は現在のところ以下の通りです。なるべくこの時間帯に来室・連絡下さい

 

月・火・水、金 10:00~12:00

 

*変更の可能性があるため、来室の際には電話(075―724―6623)で確認願います。

聖体顕示は金曜日18:30〜19:00となっています。

カトリック教会のニュース

 当教会でいっしょにミサに与っていた霧島彬(鹿児島教区助祭)さんが司祭に叙階されます。叙階式は12月29日(土)午前 11時より鹿児島カテドラル・ザビエル教会で中野裕明鹿児島教区司教の司式により行われます。よい準備ができるように霧島さんのために祈りましょう。


お知らせ

教会を会場として行われるイベントの紹介

Since 14 Sep 2013