ウイリアム神父様のご紹介

ウイリアム神父様にお時間を頂いて、神父様になるまでのお話をして頂きました。楽しそうにお話をして頂きました。強い意志とお導きを感じました(広報部)。

 

 

私が子供の頃、日曜学校でフランスからの宣教師に「あなたは大きくなったら司祭になったらよい」と度々いわれました。「なぜですか?」と聞くと宣教師は「あなたはとても明るいし、人に伝える力がある」と。一方で、私の父は医者になってほしいという考えがありました。私は司祭になりたかったので、家でよく相談し、神学校に行くことになりました。おなかがすいて神学校に植わっていたマンゴーの木の実をこっそり食べて院長に一週間追い出されたことを良く覚えています(笑)。中学生時代に司祭になりたい、しかも修道者として司祭になりたいという気持ちが強まりました。中学が終わり、いろいろな修道会を巡りましたが、しっくりときませんでした。その後、父の強い勧めで私の国の大学の医学部に入学いたしました。ところが、2年間を終えた頃、政府と大学のシステムが変わり、もう一度1年生からやり直す必要が生じました。常々、子供たちへの教育のために学びたいという想いがあり、そのことを両親に伝え、大学の地理学に入り直しました。医学から地理学に進路を変更し4年間を過ごした頃、ヴィアトール会に出会いました。ヴィアトール会の神父様と、私は子供の教育をしたい、先生になりたい、と相談をいたしました。父は私のために奨学金を取って大学院に進学することを勧めましたが、母は「はい、どうぞ」(笑)。

 私はヴィアトール会の学校で理科を教えました。専門は地理学ですが、一所懸命にがんばりました。その後、神父様の勧めで大神学院に進み哲学を学びました。「あなたは神様のために準備しています。心配ない。神様がついている。」と。するとカナダの管区長様から連絡があり、日本であなたを必要としている地区があります、といわれました。「これも神様のお導きか」。私は決断し、2007年にエバリストさんと一緒に日本に来ました。21歳のエバリストさんと33歳の私、2人は日本で3か月間暮らしました。ブルキナファソに戻り、管区長様に手紙を出しました。「日本の生活は難しいかもしれませんが、とても楽しい。是非とも日本に戻りたいです。」。こうして翌年9月、私は日本に戻ってきました。6か月間名古屋の大学で日本語を学びました。名古屋から京都に戻ると、皆さんとても驚きました。私がすらすら日本語をしゃべっているわけですから。2011年になり、私は神学を学ぶために上智大学に行きたいと、ラバディ神父様に伝えました。一所懸命に勉強し合格することができました。また、教員免許も取ることができました。今は洛星中学・高校で宗教を教えています。

 思えば私は、神様に仕える仕事をすること、子供達に教育をすること、という小さな頃に夢見た仕事をしています。神様のお導きだと思います。